何故岩手は感染者がゼロなのか?

航の部屋

Zoomセミナーのトピックでこんなことを話したけどおぼえてる?ほとんど僕のこじつけだけどね。

僕らは東北地震と原発事故で東北を見ることを強いられ、今回また東北(岩手)を見ることになった。

僕らは東北に何を見ればいいのかな?

日本には陰と陽の二つの文化があると思う。

それは平野を治めてきた大和朝廷の文化(弥生)と、山を治めてきた蝦夷(縄文)の文化だ。(二つの文化を厳密に切り離すことは現在できないけど)

大きく云うと天皇を頂点とする序列的で洗練された世界と、平等で自然崇拝を旨とした躍動感のある世界とがバランス良くある事が「日本人の生き方(霊)の健康」に重要な要素だと考えている。

僕らは詫び寂びに通じる洗練された文化と、直観的で自由な縄文時代の火炎式土器のようなアフリカ人顔負けのプリミティブな側面が共存しているのだ。しかし、その後者の陰の力が不足しているんじゃない。

歴史的には朝廷が征夷大将軍と云った特別な権威を持った軍を組織して、日本の中心地から縄文文化を追いやり、あるいは同化しながら、東北や北海道に追いやった。彼らは序列的な世界と争いを嫌い、情熱的でピースフルな文化を作って来た。それこそが今僕らが見るべきものだと思う。

「八百万の神」と云う言葉は聞いたことがあると思うけど、僕らの心象風景には山の文化(縄文文化)の価値観が色濃く残っている。(だから、もののけ姫やナウシカに心を打たれるんじゃないかな。何か忘れてしまったものに触れたように)

僕らの先祖は木には木の神様、山には山の霊、森には森の霊、海には海の霊、川には川の霊と云ったように、自然物の全てにヒ(靈・火・日)が宿っていると考えた。ヒの宿る自然に対して畏敬の念をもって自然と接してきた(与え続けてくれる自然に和み、荒ぶる自然を恐れてきた)。そして、そうしたヒの依り代としての自然に神を見ていた。自然を破壊する事は神を破壊する事だし、自然を豊かにすることは神を元気にすることだと考えて、植林し、祈りを山に注いできた。

世界のなかでは我々の様な信仰体系を「アニミズム」と呼ぶ。現在世界の中ではこのような考えをする人たちは世界の5%だ。

アフター・コロナに戻るけど(笑)

コロナで大きな被害受けた国は、不思議なんだけどユダヤ・キリスト教(アメリカとヨーロッパ)とイスラム教(イラン)と云った一神教と思想的に偏屈な中国と云った協調、共感が難しい国なんだ。

僕は、ここで一気に進んだ世界のオンライン化は相互浸透、共感、共存、多神教的な世界を一気に進めてゆくと考えている。(個別に存在するといったスタンドアローン的な発想や、西洋の文化をグローバルスタンダードとする流れは国家が都合よく与えた幻影にすぎない)こういった時代には、今一度、縄文人のようなピースフルな発想を呼び覚ますことが僕らに求められているような気がするよ。

これが世界を平和的に発展させてゆく鍵になるのではないか!

「何故岩手は感染者がゼロなのか?」の答えてないって?( ̄∇ ̄

ハッハッハ

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