人間ネオテニー説

航の部屋

僕のところに来る方は、真面目な方が多い。

そんな人たちが行き詰まり、病気になるわけだから、さらに自己啓発するようなことをいう必要がないわけで、以前のFacebook等で云ったようにダウン・グレード、スキル・ダウン等、自己低発(笑)してもらうことが必要になるのです。

遊びは人間に備わった立派な機能なんです。僕は人間は遊ぶことを義務付けられている生き物であると思っています。それによって発展・進化してきたと!

人間は生まれて死ぬまで実は未成熟です!

1920年にルイス・ボルクが「人類ネオテニー説」を打ち出します。簡単に言うと人間は子供のまま成熟(性的に)する動物だとする説です。

多くの動物は子供と大人との形態的な違いが顕著にあります。例えば同じ霊長類であるオラウータンの子供と大人ではかなりの形態的な違いがあります。こういう生物というのは大人になると知的な面が急にストップしてしまいます。でも人間の子供と大人の比率はそう変化がない。変化の少ないものを「幼形成熟:ネオテニー」と呼ぶんですが、知的な発達がその後も続いてゆくわけですね。

人間の子供はお腹の中にいるのも長いし、独り立ちするのに時間がかかりますよね。これは、臓器器官もゆっくりと変化し、知的な意味でもゆっくりと変化をしているという事です。いわば「経過」の期間が長い。このような生物のメリットは環境の変化に強く、何も固まっていないので変化に対するハードルが低く、順応しやすいという事なんです。人間という動物が勝ち得たものは、実はこのような順応性なんですね。

なので、僕らの人生は、確固なものは無く、いつでもプロセスであるわけです。要は、私たちは常に幼い。(笑)

幼い動物には「あそび」がつきものではないでしょうか?

動物であれば、それが群れの中での関係を学んでゆくために使われていますが、人間の遊びはそれ以上のものだと思います。私たちは、遊びを通じて創造性も発達させてきました。ゲームのようないろいろな意味付けをしたり、新たなルールを誕生させたりしました。仕事や学校のようなものから逃避するものであったり、そういった日常の生活を俯瞰するような異空間を形成してきました。

今の日本は遊んでる人が少ないんですよ。努力に逃げて、ボロボロになって、青白い顔して、スマホを見てるんですよ。

遊びましょうよ。

ね。

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